私は原則として、「海には入らない」主義であり、仮に入ったとしても15分までと決めている。
なぜなら、せっかく塗った日焼け止めが流れるのは嫌だし、クラゲも怖い。なにより鼻に入る海水が不愉快極まりないからだ。
しかし海の賢者から、サーフィンを教わった日、そのあまりの楽しさゆえに「来世は魚にでもなろうか」と思えるほど、海に魅了されてしまった。
本日は、私の価値観を変えたサーフィン体験をご紹介しよう。

青春時代、全てをスケートに捧げた私は、「板に乗る」という行為に関して、いささかの自信がある。
不安定なスケートボードで、繊細に重心移動を行い、一点を強く蹴り上げ、空中でバランスを取ることができるため、たとえそれが海の上だろうとお茶の子さいさいだと考えていた。
賢者からサーフ・ボードを渡されたときも、私は悠々綽綽とした態度で波を眺めていたが、これが悲劇の始まりであった。

同伴したS様も自信たっぷりな様子だったため、我々は海岸に打ち寄せる波をみながら「大した波ではないですね」とか「午前中には終わりそうですね」など余裕をかましていたが、この手の発言をする人物はたいてい、物語の序盤で退場するのがお決まりである。
案の定、我々はさざ波に揉まれ、あっという間に体力を消耗し、クラゲの餌食となった。
板の上では、立つどころか座ることさえ出来ず、病弱なあざらしのように情けない姿でしがみついた。
波は遠くから見ると、穏やかで優しく見えても、水面から見ると大津波のような凄みがあり、直撃する度に、ブレーキを踏まないお婆さんが、自転車で体当たりしてきたような衝撃を受けるのだ。

講師である賢者は、我々がもがき苦しんでいるのを横目に、実にリラックスした様子で波と戯れていた。
ボードに座り、日光浴を楽しんだかと思えば、波の訪れに合わせて、私の泳ぐ16倍くらいの速度で海面を気持ちよさそうに泳いでいた。
賢者があまりに簡単そうにやってのけるので、私は「板が良いに違いない」と文句を言い、交換を要求したが、「単にパドル(漕ぎ)が足りないのです」とあっさり返されてしまった。
その口調は、「鍵が無いとロッカーは開きません」や「お金がないと肉まんは買えません」というように、周知の事実を語るときのさっぱりとした言いようであった。

私は自分の愚かさをようやく反省し、賢者のアドバイスに従ってパドルの練習を行った。
彼の的確なアドバイスのお陰で、午後には3回に1度くらいの確率で、波の力を借りられるようになった。
さすがに、板の上に立って波乗りをするには、未だ未だ訓練が必要だが、それでも波に押されて海面を滑る感覚は、空を飛んでいるかのような気持ちよさがあった。
この快楽は、体感しないとわからない類のものなので、読者諸君にはぜひ現地で体験していただきたい。
■美声の伝道師によるオーディオ・ブック





