人類の生存をかけた宝石
ジュエリーは単に飾りや流行ではないのです。
それは、我々の生存をかけたものなのです。
ジュエリー蒐集家 有川 一三
(館主の日記)28, Oct, 2020 / 最寄りのカフェにて
帰りの列車の中で、私は満月の夜のロバのように、錯乱状態にあった。
その日、自分の身に起きたことが、夢なのか現実なのかはっきりと区別が付かなかった。
誰も信じてくれないだろうが、その日の朝、私の手には、ピンクトパーズとダイヤモンドが惜しみなく使われたヴェルテンベルク王室のジュエリーが握られていたのだ。
それだけではない。
マリー・ジョゼ王妃のルビーに触れ、ヘレニズムの黄金のティアラの匂いを嗅ぎ、ヘラクレスのインタリオ・リングを指にはめることもできた。
10月27日、世界最高峰の蒐集家のコレクションに招かれ、王族、貴族が所有してきた高貴なジュエリーに対し、警報機も、屈強なガードマンも、ガラスのケースさえも隔てず、手で触れ、匂いを嗅ぎ、声を聴いたのだ。
私が西の貴族の血族であれば、自然と受け入れられたかもしれないが、しがない東の民の身に、そのような奇跡が起きたことに、確信が持てなくなっていたのだ。
始まりから終わりまで、全て頭の中で創り上げた空想なのではないかと。
しかし、それは本当に起こったことだった。
招待状に書かれた住所に向かうき、私は一抹の不安を抱いていた。
なぜなら、待ち合わせ場所は「ジュエリー・サロン」と聞いていたので、鉄の扉で守られた地下金庫、もしくは、国立美術館の一角を想定していたのだが、地図が示す場所は、実に都会的なオフィスビルの19階だったからだ。
しかし、マオカラーのスーツを身に纏った蒐集家が現れ、扉に向かって「開けゴマ」と唱えると、全くの別世界が待っていた。
アラジンが、洞窟の中に金銀財宝の山を見つけたときのように。
扉の向こうには、ロマネスクの修道院のような部屋があり、古代ローマ人にとって希望の象徴である「馬」のモザイク壁画が飾られていた。
通路の左右には、見るからに高貴な宝石や装飾品が飾られ、足を踏み入れた私は、21世紀の倭人から11世紀の修道僧となった。
司祭となった蒐集家は、私にやさしく微笑み、「今から、世界最高峰のジュエリーの世界にご案内します。」と言った。
しかし、最初に通されたのは「和の茶室」だった。
「有庵」と名付けられた茶室も、修道院と同じように一級品の宝庫であった。
床柱や炉縁には、樹齢2万年の神代杉や、伊勢の御神木が用いられ、千家十職の塗師、中村宗哲氏が手掛けられた床框があり、茶器には、斗々屋、黄伊羅保の上質なものが用意された。
どれも判を押したように、一級品ばかりだった。
一級品でなければ、一流品。一流品でなければ、一級品という具合に。
かつては仏僧であったという司祭は、ジュエリー・コレクションを披露する前に、この伝統的な茶室で、ゲストの心を整える「儀礼」を行うのだ。
司祭は、茶道裏千家家元の千玄室大宗匠から、この場で直々に継承したという「薫り高い抹茶を飲む作法」を私たちに指南しながら、茶室唯一の装飾品である仏陀と菩薩が描かれた掛け軸をご紹介された。
14世紀に描かれた仏陀は、質素な身なりである一方で、菩薩は、ティアラ、ネックレス、ブレスレッドなど、美しいジュエリーを身に纏い、究極の美(極楽)へ、仏陀をいざ導かんとしていた。
司祭は目を閉じて、こう続けた。
それが、ジュエリーの神髄なのです。
ジュエリーは単に飾りや流行りではないのです。
それは、我々の生存をかけたものなのです。
儀礼を終えた私たちは、次に書斎に通された。
そこには、古今東西、世界中から集めた6000冊以上の装飾芸術に関する書の中で、特に重要なコレクションの一部が収められていた。
グレゴリオ聖歌がかかる神秘的なライブラリーで、司祭の講義が始まり、古代メソポタミア文明の璽(印鑑)から、ルネサンス、バロック、近代アールデコまで、数十点もの国宝が次々に運ばれてきた。
「巨匠」と呼ばれた歴史上の芸術家たちが、地球上で最も純粋な宝石を使い、命を捧げて創り上げたジュエリーは、呼吸を忘れるほど美しかった。
ティアラに使われた天然のダイヤモンドは、全ての方向で完全な対称性を持ち、地球上のあらゆる物質の中で、最も硬く、最も透明で、最もピュアであった。
「玉」を囲んで、「国」を創るように、私たちの前に運ばれたジュエリーは、紛れもなく人類を支えてきた宝であり、熱を入れないビルマ産のルビー、バッカスのカメオ、キリストの十字架の木片など、地球の神秘と人類の叡智を前に、心の震えが止まらなかった。
資源を燃やし、発散させることで、エネルギーを生み出す科学信仰の現代で、収束の究極系である、ジュエリーの「純粋性」と「美」に触れ、自分が燃やすべき命の対象(使命)を、はっきりと感じることができた。
世界最高のジュエリー蒐集家。
そして、この機会を紡いでくださったふたりの紳士に最大の感謝と敬意を。
■ご案内
ご存じの通り、館主は偏屈で気難しい人物である。
おそらく友達が少ないため申請してあげると喜ぶに違いない。
館主が集めた「叡智の結晶」は、Youtubeでも公開している。
ぜひ一度覗いてみてはいかがだろうか。
コメント30件
こんにちは。
息を忘れるような美しいものに出会ったことがありませんので、どのような感覚だろうかと想像しながら拝読しました。
私も「美」を追求し、世界に深みや奥行きを出していきます。
ありがとうございました。
Shouさん、いつもたくさんの学びをありがとうございます。
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記事が公開されて1年以上、今の今までこの記事にだけはフィードバックを残すことができずにいました。
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なぜなら、未熟なあまり、フィードバックできる程のエッセンスすら掴み取る事ができていなかったからです。
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当時の僕はフィードバックするためにどれだけ頭を捻らせても、「なんかすごい経験をされたんだな」とか「究極の美、生命の存続…?」みたいな、まるで別世界の話を聞いてるかのような感覚でいました。
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しかし、先日Shouさんから文章の裏側の話をお聞きして、今なら掴めるものがあるんじゃないか?と思い、満を持して再び見返しました。
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前置きが長くなってしまいましたが、1年越しにコメントできる歓喜に身を震わせながらフィードバックをさせて頂きます。
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まず内容がすごく入ってきてわかりやすいなと感じたのですが、時系列ごとに具体性を出しているからなのかなと思いました。
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Codawariや論理的思考の話が背景にあるからだと思いますが、それらを知識を踏まえたおかげで、全体的な解像度が一気に増した気がします。
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また、「宝を囲んで国」という部分で、働き蜂が女王蜂(宝)のために巣を作ったり、女性(宝)がコミュニティに固まり男性がその周りを守る(狩りをする)だったり、人(宝)が集まって国ができたりと、この6文字にフラクタルが連想できて、普遍的本質が詰まっているように感じました。
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この記事から「ジュエリーの価値」をすごく感じて、ジュエリーはただ珍しいから価値があるんじゃなくて、本質的にそれ相応の理由があって価値があるんだなと、理解の解像度がまた1段上がりました。
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自分のいる次元が上がるだけで、こうも捉えられる幅が広がるのか、、とビックリしております。
このフィードバックを見られた方は、文章の長さにビックリするかもしれませんが(笑)
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長くなりましたが、以上フィードバックとさせて頂きます。
Shouさんの記事はいつも楽しく学びながら読ませていただいておりますので、今後も楽しみにしております!
ありがとうございました!
Shouさん
ワンダーランドのような世界を
教えてくださりありがとう
ございます。
小説の中の世界のようです。
Shouさん
こんにちは✨
庶民の私には
想像のつかない世界でした。
言葉の表現が豊かで
わたしもいい夢がみれました!
ありがとうございました
Shouさん、素敵な記事をありがとうございます!
Shouさんは、いつも非日常、普段感じたことのない世界へ連れていってくれて頭が活性化されます。
何百年前のジュエリーなんて、見ただけで運気が上がりそうですね!
ぜひ、見てみたいです!
Shouさん、誰にでも訪れるものではない稀有な体験をなさったのですね。
まるで映画を観ているかのような表現に惹き込まれました。
ジュエリーには縁遠い今の生活ですが、単なる資産ではないジュエリーが存在することと、それを保有するにふさわしい人がいて、その人にお会いでき、さらにはそれを手に取ることができる体験ということが、まさに「人類の生存をかけた宝石」というタイトルに集約されているように感じました。
貴重なお話しをありがとうございました。
Shouさんの文章を見ているととてもイメージが湧きました。
表現が素敵すぎます。
そして、世界最高峰のジュエリーにどうやったら手で触れられ、匂いを嗅ぐことが出来るのだろう?どんな声を聴いたのだろう?と興味しかありません。
いつかその経緯も知りたいです。
そして、私も高価なジュエリーの波動をいつか感じてみたいと思いました。
素敵な体験のシェアをありがとうございます。
素晴らしい体験を共有してくださり、とても嬉しく思います。
斗々屋、黄伊羅保・・・グレゴリオ聖歌などのワードが想像を掻き立て、その場にご一緒しているかのような気分になりました。
2007年に開催された日本初の「ティアラ展」へ足を運んだのですが、宝石を通して人間の歴史を感じ
その美しさに心震えたのを覚えております。
その時に購入した図鑑をめくりながら思うのは、審美眼を養うためにはやはり本物を知ること。
そして一流のものを見ること、究極の美や本質を知ることだとつくづく感じます。
美術館でガラス越しに見ることはできたとしても、そのレベルのものを直接手にし、身に付け、匂いをかぐという体験はそう滅多にできる事ではありません!
その価値を全身全霊で感じられたShouさんから、日々波動を分けていただけていると感謝しております。
この時Shouさんが、燃やすべき命の対象(使命)を感じられたように
私自身も志を高く生きることを選択し続けていこうと思います。
Shouさん、EFのまりです。この記事だけは読んですぐ、コメントを残す事が出来ませんでした。理由はカッコつけでした。良いコメントを残したいという私の自己満足で遅れてしまいましたが、ようやく準備が整った為、記載させて頂きます。
今回、わからない事を一つずつ調べながら改めて拝読しました。そうすることでよりリアルに、Shouさんの少し後ろを歩き、追体験をさせて頂くイメージで読ませて頂きました。
この作業をする上で一番役に立ったのは、有川氏のお名前をGoogle検索の結果2番目に上げられている動画です。
有川氏の優しいお声、想い、動画でジュエリーを拝見する事で美しさがより伝わりました。ブログを通して貴重な経験をシェア頂き本当にありがとうございます。
Shouさんへ質問させてください。
ジュエリー美術館に行ってみようと思うのですが、事前の心得やShouさんが一番印象深かったジュエリーがあれば教えて下さい。
貴重な時間を頂き恐縮ですが、よろしくお願い致します。
Shouさん、こんにちは!
TPTEの澤見優子です。
Shouさんの表現、言葉の一つ一つにとてもドキドキしました。
どんな服を着て行かれ、どんな表情されてたんだろう?と想像しながら読ませて頂きました。
情景を想像しながら読む機会を与えてくださり、感謝です。
Shouさんの記事は
良質の脳トレ、そのものだと思いました。ありがとうございました。
Shouさん、日記の方拝見させていただきました。
これが審美眼なんですね!エルメスのバーキンの記事の内容も見ましたが、やはり美しいものに本当の価値があるって感じですね!
世界が認める美しさを持つジュエリーを五感を通して感じられる機会はなんで貴重なんでしょうか。僕も一度で良いから味わいたいですね。
このジュエリーサロンの中に、和の美しさも取り入れているところに審美眼をかんじました。やはり日本人が和に対して美しさを感じとることが誇らしいとも感じました。
貴重な体験の共有をありがとうございます。
人類の生存をかけた宝石。
仏陀は質素な身なりだが、菩薩は美しいジュエリーを身に纏っていて、究極の美(極楽)へと導く。
スピリチュアルを学んでいますが、肉体を脱いだ元の世界はそれはそれは綺麗だと言われています。
この世にはない綺麗さ、美しさで想像以上だと。
私たちが綺麗な物に惹かれる理由はそこにあるのかも知れませんね。
「自分が燃やすべき命の対象(使命)をはっきり感じることができた」に興味津々です!
いつもありがとうございます。
皆様お疲れ様です。
人類の生存をかけた宝石を読んでの感想です。
和(調和)の心、礼節、質素な心が洗練される事で菩薩様のように装飾をまとえるようになって究極の美の世界、極楽に導かれるだろうという印象をうけました。
ジュエリーの真髄は魂の例えで
最も硬い意思、透明(正直)、ピュア(純粋)な魂が国を支えてきた宝物(人)を比喩しているように感じました。
現代の鉱物エネルギーは労働収入の世界観を現しているように思えます。
ジュエリーも磨きあげることで勿体(価値ある宝石)になるように、人も魂(純粋性)と身体(美)を磨きあげることで勿体(価値ある人)の意識する事を教えて頂いているように思えました。
収束の究極系、勿体(価値ある人)の集まりでありコミュニティ each-brandの目指している方向のように感じました。
ありがとうございます。
Shouさん、貴重な体験をされたのですね。
まるで小説の一章を読んでみた気持ちになりました。
歴史には疎い自分ですが実際に観て、その場に身を置き空気に触れることで肌に感じられるのだろうなと思いました。
今回の体験でShouさんが大切にしていこうとされていることと、ジュエリーの存在価値が置き換えられたように感じました。
そんな気持ちになれるようになれたら、と思います。
貴重な体験談をありがとうございます。
Shouさん、いつも素敵な文章をありがとうございます!
私も宝石というものに、不思議と魅せられる人間(というか、私でなくともほとんどの人は)なので、今回の文章もとてもおもしろく読ませていただきました。
美というものを前にした時、人は生存の前提を知るものだと思います。
ドストエフスキーが『悪霊』のなかで、ラファエルやジョークスピアがいなければ、パンを買うことすら我々は判断できない(もう読んだのがかなり前なのでうろ覚えですが、要するに、美というものが物質的な生活よりも生存の前提に近い、という内容だったと思います)、という感じのことを書いていましたが、まさしく、純粋で絶対的な美は、私たちの生存の核そのものだと思います。
メタファーでしかわからない高貴な世界、そしてより高い世界や論理があり、美は常にそれを私たちに示唆してくれますね。
Shouさんの文章を、これからも楽しんで読ませてもらいます!
Shouさん。小説のような奥深くて空想を駆り立て、夢のような非現実を現実化した日記。
本物の最高級なジュエリーは見た事はありませんが、以前ナポレオンの妻ショーメの麦の穂のティアラのレプリカを観た事があります。
いつか、本物に出会いたいです。
「人類の生存をかけた宝石」は、決して特別なものではない。
いえ、もちろん超特別なものには違いないのですが。
当初から感じていた僅かな違和感の正体が、私なりにわかったような気がしたので、フィードバックのアップデートです。
東のしがない民、西の貴族、そのような分離感覚が自分にはないらしく、ごく一般的な庶民の出(私)であろうが貴族や華族の出身であろうが、自分の身に起こる事象をその基準によって価値判断したり感情を刺激されることは、どうやら、あまりない模様。
自分はきっと、ごく普通のこととして受け入れるのだろうなと感じました。
このような感じで周りの人との感じ方の相違に気づくことは稀ではないので、それが僅かにくすぶっていた違和感の正体だったらしいと気づきました。
だからどうということもないのですが、身分や階級という感覚に疎く、もちろん超一流には超一流なりの全く次元の違う洗練されたスピリットとアート(技術)があるのは当然だとして、私が深く感動した「人類の生存をかけた宝石」という美学は、私達の些細な何気無い日常の中にもキラキラと煌めいているのだと、私の場合はやはりとどのつまりはそこに着地するようです。
そこにこそ、最も深遠な、魂が震えるような美がある。
その美しさと歓びを味わい拡大することが、私がこうやって今日も息をして生かされていることの意味だな〜と感じます。
Shouさん
とても素敵な日記をシェアしていただきありがとうございました。
この日記を通して、”本物”に触れて五感が磨かれているような感覚を覚えました。
また、Shouさんの”人を惹きつける”表現力や語彙力の部分も、自分がSNS投稿や情報発信をする上で、少しずつ磨いていきたいと思いました。
次の日記もとても楽しみにしています。
呼吸を忘れるほど美しいと思えるものが目の前にあったとき、果たして自分はどんな感情に浸っているのだろうと想像するだけで、目が宝石のように輝いてしまいます。また、菩薩が仏陀を極楽へ導く姿が神秘的過ぎて、その様がまさに一級品だと感じました。装飾品の表面上の輝きにとらわれることなく、その奥にある物語、在り方を感じることで自分という宝石がより一層輝けるのだと感じることもできました。改めて素敵な内容をありがとうございました。
あれ?私ブログ読んでるはずなのに…いつの間にか小説を読んでいる…
途中なんども混乱しましたが、「ブログ」という媒体を通じて読む「小説」である。
という結論で、私の心のざわざわは収まりました。
世界の”広さ”ですら、気が遠くなるような感覚があるなか
このストーリーから伝わってくる、世界の”奥深さ”は
まだ私にはおとぎ話を聞いているような感覚です。
ただ、ため息と言いますか…気の利いた言葉が、思い浮かびません。
Shouさん
Shouさんの記事はいつも、その描写を頭の中に思い描くことがとても楽しく、美しい世界観に引き込まれ、毎度長い首をさらに長くして前のめりにPCと向かいあい読んでいます。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
ジュエリーを目にする前の茶室での儀礼、新しい世界に触れるときに今までに持ち得てこなかった心や在り方を整えられ、そうして研ぎ澄まされた心があったからこそよりジュエリーの美を感じられ、心が振るわされた…茶室での出来事により、心が灯されたことを感じられました。
それは人が変化を求めるときにも同じことで、心にまず灯がともされ自らに問いを続け、古いもの、自分の弱さと向き合い燃やし、そうしてジュエリーのように新しく磨きあげることが必要だと感じます。
灯すことができなければ、燃やしたくても燃やすことはできない、それをわかっていてもなかなかできないということは心の灯のつけ方は自分自身にしかないからだとも思いました。誰かから向けられた何気ない一言、ふと学んだこと、読んでいた本の一節、何が灯されるきっかけになるかは秤知れませんが、感じ方はそのときのその状況やタイミングにもより無限の可能性を秘めています。なのでこれからもたくさんのことを学んでいき自らの灯を絶やさないようにしていきます。そして、少しでも多くの人がその人自身の自分の心を灯すきっかけになりたいです。
なかなか記事の神髄を解釈しきれませんので、これからも楽しく拝見します。
ありがとうございました。
Shouさん
いつもありがとうございます。
一級品といわれるお道具は無味乾燥とした美術館でガラス越しに拝見することがほとんどですが、ごくまれにご縁を頂き間近で拝見する栄誉にあずかった際本来あるべきお茶室にあるその姿はごく自然に他のお道具と調和を成していました。
永い永い年月を数多の人びとが関わってきたであろう茶器と自分の人生が刹那交わった時、時代を超えた縁に目頭が熱くなりました。
まさしく一期一会の出会いでした。
そんな奇跡のようなビジネスパートナーとの出会いを目指してコツコツと日々積み上げて参ります。
Shouさん、素敵な記事をありがとうございます。
宝石に関してはほとんど無知ですが、
そこから読み取れる時代背景や考察に驚きを隠せません。
実際に自分の目で見て体感してみたいと感じました。
現代の、金融資本主義・情報社会、環境汚染・食料汚染の、大海原の荒波を懸命にサバイバルしながら、心身に異常をきたし命を失うか、そうでなければ、大半が、生きる屍として、その尊い生命の時間をあまりにも無自覚にただ消費している現実の中、
私達のこの each Brand のような場は、「物心両面の実質的な救命ブイ」としての役割を果たすことの出来る大きな可能性を感じます。
そして、最新モーター付きのクルーザーに乗り込み、誰もが一人一人、自分の人生の操縦士として、航海の醍醐味を謳歌していける環境が、ここでは常に創造されていき、かつ、協働もしていける。
過酷であると同時に、未だかつてなかったほどに個人が自由に才能を社会に役立てることが出来る、最高の時代が到来していますね。ただ、その全ては自分のチョイス次第。
日進月歩で進化し、時空を超える無限の可能性を秘めた、素晴らしきネットビジネスの世界においても、ここはそのポテンシャルにおいて唯一無二の存在であり、ただのコミュニティとしてのサロンや消費型のサブスクとは、その意義も価値も可能性も全く次元が違います。
まだ誰も経験したことのない魅惑の世界への可能性。
超一流のジュエリーのごとく。
賽は投げられた。
この記事はひとつのランドマークですね。
極上のお抹茶の一服を頂きたくなりました。
本質を見極める「審美眼」が、「本物」と対峙すること以外からは
得られないとしたならば、なんと残酷なことでしょう!
と絶望感に苛まれる程の、極上なエピソードを頂きました
これからの人生、せめて「開けゴマ」を唱える扉だけでも
見極められる眼を持ちたいと、決意を新たにいたしました
2021年も我々の道標として、北の空のジュエリーの如く
輝き続けてください
記事を拝読させて頂きました。
いつも非日常を味わわせて下さり
ありがとうございます。
文章をよんでいるとリアルに修道院や茶室が想像出来、あたかも自分もその場に行ったような錯覚に陥りました。
Shouさんが呼吸をするのを忘れたくらい感動した何世紀も前のジュエリーを実際に見てみたいととても思いました。
また、本物の価値がわかる人間で在りたいと思いました。
Shouさん、こんにちは。
記事を拝読させていただきました。
私は幼い頃から、誰もが憧れを抱くジュエリーに女性として夢を持っています。
少しでも手に入れる機会が訪れると、より良いものを、と先送りにして
いまだ満足できるジュエリーに出会っていません。
Shouさんが呼吸を忘れるほどにピュアで美しいジュエリー、
いつか自身の目で見てみたいです。
命を捧げて創り上げられたものとは想像もつきません。
いつも非日常の世界へ連れて行ってくださりありがとうございます。
Shouさん
いつも素敵な記事をありがとうございます。
『人類の生存をかけた宝石』タイトルに引き寄せられる様に見いってしまいました。
しかし、書かれてある内容がとても奥深く、何度読み返しても私の解釈では、Shouさんが伝えてくださっている真髄に達することができなかったというところが本音です。
しかしながらとても分かりやすく情景やその時の気持ちを書いてくださっているので、本当に訪れたかの様に修道院や茶室、書斎、そこで感じられる薫りや音、話し声を想像してしまいました。
触れたことも感じたこともない一級品に私の想像は、浅いかもですが、まさに夢の様な一時を過ごさせて頂きました。
その中でも印象に残った一節が、『仏陀は、質素な身なりである一方で、
菩薩は、ティアラ、ネックレス、ブレスレッドなど、美しいジュエリーを身に纏い、
究極の美(極楽)へ、仏陀を導こうとしていた。』です。
この解釈が合っていかは分かりませが、ジュエリーはただ身につける道具ではなく、その存在その物で私達を美徳へ導いてくれているのだと感じました。
菩薩様が、我々を極楽の世界へ導いてくださる様に
今までジュエリーは、高貴な方が身につける物、お洒落をする時に身につける物と思っていましたが、この考えがそもそもの誤りだと気付きました。
仏に近づくために我々が、仏陀の教えを学ばさせてもらい、またその境地にたどり着く為に修行を繰り返す様に、
ジュエリーを身につけるに値する人間になる努力が必要であると考えさせられました。
まだまだShouさんのおっしゃる『人類の生存をかけた宝石』に至る考えまでたどり着けず、何度も読み返させてもらい真髄に触れれる様、解釈を重ねていきたいと思います。
とても貴重なお話をありがとうございます。
Shouさん、記事を拝読させて頂きました。
外は音もなくしんしんと降り積もる雪の世界なのですが、あっという間に茶室へと、そして宝石の世界へと誘われたような気持ちです。
年を重ねるごとに「本物の美しさは自然の中にこそある」という気持ちが強くなってきました。
天然鉱物、生物に起源するもの、様々あると思いますが、どれを取っても自然由来の宝石に心を奪われてしまうのは自然が作り出す美、その奥深い歴史に魅了されるからでしょうか。
私自身祖母から譲り受けた宝石くらいしか現物は見たことがないのでその魅惑の世界にはとても興味があります。
絵画や宝石など時間を超えて人々を惹きつけ続けるものには積極的に触れていこうと思いました。
そしていつか世界最高のジュエリー蒐集家の方にお目に掛かれる日が来ればいいなとひっそり思うのでした。
ブレイクタイムにぴったりな記事を拝読できてとても良い時間になりました。
ありがとうございました。
Shouさん、いつも貴重な情報ありがとうございます。何世紀も前のジュエリーを実際に観れるのは凄いですね。私も1度でいいから、何百年前に造られたジュエリーを観てみたいです。
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