これは「こだわり」というよりは、「偏屈さ」という言葉の方が適切なのかもしれないが、私は観光地で人に土産を買うことが無い。
もちろん全くのゼロではないが、観光地では人に差し上げたいと思えるものに出会える確率が目の前に隕石が落ちるくらい少ないため、逆説的に隕石が目の前に落ちたら、私が目当ての土産を見つけたと思っていただいて構わない。
ロサンゼルスやメルボルンのような洒落た都市ならいざ知らず、人里離れた田舎町で、気の利いた土産を入手しようと思えば、全ての店を隈なく観て回る必要があるため、もはや旅どころではなくなるのだ。
もしあなたが、職場への土産に悩んでいるなら断言しよう。忖度で人に土産を買う必要はない。
なぜなら、なんとなく便宜的に作られたクッキーや、申し合わせたかのように置かれているお煎餅を渡しても、もらった側も気まずい空気になり、いずれ捨てられるのが運命だから。
私も若い頃は、乾燥パパイヤやご当地クッキー、ガネーシャの置物を熱心に友人に配ったが、そのまま疎遠になった苦い経験があるから、相手の気持ちもよくわかるのだ。
おおよそ上記の理由で、私は観光地で土産を買うことはなく、代わりにこだわりの手土産を持つようにしている。
今日は、そんなこだわりをご紹介しよう。
私が思うに、気の利いた手土産を選ぶ作法は、英語やプログラミング、微分積分法よりも遥かに重要であり、中学生になる頃には、義務教育で教えるべき内容だと思う。
なぜなら、あなたの人と成りがそのまま相手に伝わるからだ。
そこでこれから、私が選ぶ際のこだわりを3つほどご紹介しよう。(客人に遠回しな圧力をかけているわけではないので、くれぐれも誤解のないように。私は客人には何も求めていない。)
1:消費でき、保管が楽なもの
悪いことは言わない。ガネーシャの置物だけは辞めた方が良い。
荷物になるくせに、神なので捨てるわけにもいかないため困るからだ。
また乾燥パパイヤのように臭いがキツく、保管に困るものも控えた方が賢明だ。
このあたりは、まともな大人であれば少し考えればわかることだろう。
2:量は少なく、質は高く
「自分では買わないもの。されど頂いたら嬉しいもの。」は大変よろしい。
5千円もかけて、10種類のショコラ盛り合わせセットを買うくらいなら、1粒千円のいちごをひとつ買う方が良いだろう。
ほとんどの人は、自分のために1粒千円のいちごなんて買わないが、食べてみたいという好奇心は持ち合わせているからだ。
3:話題性ではなく、自分のこだわりを披露する
これは私の偏見かもしれないが、「行列ができる」という言葉ほど、信用できないものはない。
そんな無責任な指標ではなく、あなた自身が心を揺さぶられ、情熱を持って紹介したいものを選ぶと良いだろう。
この3点を踏まえた手土産を持っていけば、観光地のクッキーがない無礼を気にする人は、まずいないだろう。
恵まれている私は、数多くの素敵なギフトをいただき、学ばせていただいてきた。
ブルガリのショコラに、特別なコーヒーにジャム。こだわりのカレーに上質なアロマや線香、あるいはランタン。etcetera、etcetera。
こういう贈り物をいただくと、思わず口笛を吹きたくなるものだ。
先日も、品性が人格を持ったような女性から、オマーン産のエッセンシャル・オイル、「ラニュイドゥース」をいただいた。
品の良い上質なアロマは、まさに理想的な手土産のひとつだろう。
妥協で買うバター・クッキーではなく、こういう粋な贈り物ができる大人になりたいものである。